自担から担降りする話

感情はたくさんあるのに言葉にすると薄っぺらくなってしまう。向こうが透けて見えるように薄い言葉を羅列していこうと思う。

 

 

私が初めて渉くんを見たのは渉くんが入所してすぐについた嵐のコンサートだった。たくさんいるチビジュのなかで常に笑顔でシャカリキに踊る1人の男の子が際立って見えた。ジュニアの出番は決して多くはなかったし、もちろん嵐のパフォーマンスはすごかったけど、その日の帰りはその名前も知らないチビジュのことばかり思い出してた。

 

その名前を初めて知ったのは数ヶ月後の少クラだった。瀬下渉くん。9歳。目はくりくりでほっぺもふにふにで先輩ジュニアに囲まれて笑う姿はもうほとんど赤ちゃんだった。四捨五入どころか二捨三入で赤ちゃんじゃん。産んだ。好きな食べ物はいちごなんだって。ハイハイ可愛い知ってた。一万ダース送りつけたい。でもこんなに赤ちゃんなのにめちゃくちゃ踊るんだよ?しんどくない?私はしんどい。あんなに元気いっぱいのフラワー初めて見た。少クラの放送が終わって渉くんばっかり目で追っていた自分に気づいた私は渉担になることに決めた。

 

渉くんは割と推されていた方だと思う。11歳の時にはえふえふ(fine five)のメンバーになった。グループ最年少だった渉くんは他のメンバーにたくさん可愛がられて正しくまっすぐに成長していった。最年長の渡辺くんとのわたわたコンビが特に最高だった。サンドイッチ事件は後世に語り継いでいきたい。10代の5歳差ほど大きくて尊くて儚いものはないと感じた。えふえふ結成から2年、BSで冠番組を持って半年ほど経ち人気が出だした頃、渡辺くんが退所したのだ。あまりに突然だった。これから5人はどんどん人気が出て、売れて、デビューするんだと信じてやまなかった私は全然受け止められなくて、ただ呆然とした。それでも番組は続いた。はじめは4人でファインファイブと名乗るのを見るのが苦しくて堪らなかったけど、明るく全力で頑張る4人を見てくうちに受け止められるようになった。やっぱり私は渉くんが好きだし渉くんがアイドルでいる限り何があっても応援し続けようと思った。

 

えふえふ結成から5年が経った。この年sexy zoneがデビューした。川崎くんと田上くんが退所した。いつのまにか少クラで残された2人の名前の前にfine fiveという文字が消えた。もう渉くんはえふえふでデビューできないんだと知り辛くて仕方がなかった。こんなに辛いのになんでオタクしてんだろうって何回も思ったし担降りも考えた。でも、それでも渉くんは全力で踊っていた。もう16歳になってシャカリキダンスはしなくなった。しなやかで重力を感じさせない踊りで色気すら感じた。そういえば尊先はずっと一途に大野くんだったな。メンバーの退所とか後輩のデビューとかグループの解体とか、普通の16歳じゃ経験しないようなたくさんの感情を経て渉くんはどんどん強くなっていった。何があっても絶対に悲しい顔はしなかったし私たちにたくさん笑顔をくれた。ダンスも歌も見るたびに上手くなっていった。それが嬉しくて渉担を続けていこうと思った。

 

渉くんはグループ無所属のまま18歳になった。人生の半分をジャニーズに捧げてるのだ。もうJr.歴9年、歌もダンスも抜群に上手く後輩にも慕われている。なんでデビューしていないのか理解できなかった。ヒロムの目は節穴なのかと本気で疑った。グループに所属していないから少クラにもあまり出なくなった。渉くんを見れるのはデビュー組のバックくらいになった。どのグループのバックにつくのかは幕が上がらないとわからないしツイッターで検索をかけても渉くんが出ているかどうかわからないことも多々あった。ドル誌にもほとんど載らなくなった。

 

ふと、ごくたまにドームの端で踊る自担を見てなんとか好きという感情をつなげようとする自分に気づき虚しくなった。もう心がついていけなくなった。こんな気持ちで担当なんて名乗ったらだめだ。もう降りよう。そう決めた。

 

今でも渉くんのことが何よりも誰よりも大好きだし、渉くんがジャニーズとして歌や踊りを続けていくことを願ってるし、これまでの少クラのダビングやドル誌も絶対手放さないだろうけど、すべて思い出にしてしまおうと思う。渉くんを応援してきた9年間はきっと私の人生で一番キラキラした日々なんだろうな。

 

渉くんは私に数えきれないくらい幸せをくれました。赤ちゃんみたいだった渉くんがたくさんの経験を経て頼もしく男らしく成長するのを見守れて嬉しかったです。

 

ありがとう、渉くん。いつだって自慢の自担でした。幸せでいてください。